文才がない人のぶろぐ

思ったこと・興味あることを適当に書いています。

手抜きと価値

最近ネットニュースを見ていたらこんな記事が目についた。

「ポテトサラダをスーパーの総菜で買うことは手抜きか?」

色々意見があると思うが私個人としては手抜きさせなさいよと思った。私は家庭の事情で中学後半から高校、大学の中盤くらいまで家族の料理をしないといけないような環境だったので帰宅して買い物をして夕食の料理をしていた。これがかなりつらかった。毎日、かぶらないように献立を考えるのはかなり大変だ。少し手の込んだものを作ろうとするとおかずの品はどうしても減るし、洗い物も増えてしまう。すると、夜寝るのも遅くなり自分の時間もとりづらくなる。そして、カレーとかを頻繁に作ると「また、カレーかよ。」みたいな事を父親に言われたのをよく覚えている。まあ、けんかになりますよね。(笑)

家庭のご飯は外食ではないのでそんな手の込んだものは作れないだろとよく腹の中で思っていた。ポテトサラダ、ローストビーフ、唐揚げ、コロッケ、天ぷら...etcこの系統は時間がかかるからスーパーの総菜になり、毎日の家庭の献立を支えているのだと私的に思っている。限られた時間で色々出そうと思ったら総菜とか冷凍食品とか利用しないと時間がかかってしょうがない。

夕飯だけに限って書いたが、専業主婦というものは結構仕事量がある。朝食、掃除、洗濯、子育て、買い物、洗濯物の取込、夕食。この仕事をすべてやろうとすると空いている時間はたぶん、午前中からお昼の1,2時間だと思う。午後は一人ではスケジュールを割けない仕事が多くなるので休みは取りづらい。なので、労働量としては結構ハード。昔ちらっと目を通しただけだが、家庭の労働に賃金をつけると年収的には300万は超えるらしい。(しっかり労働経済学とか計量の実証の論文を読んだのではないのではっきりとしたことは言えないが。)また、家事もオートメション化が進んだが他の仕事同じように、求められる水準も高くなり大変さは少し楽になっただけなのではと思うときがある。

少子高齢化社会で家族は核家族になり労働力人口が低下する時代、女性の社会進出とかが叫ばれている時代なら男性が家事をやったり手を抜くところは抜いて、機械に任せるところは任して、他のところに力を入れて行くというのが色々無理しないで暮らしていけるコツだと思う。