文才がない人のぶろぐ

思ったこと・興味あることを適当に書いています。

研究科の仲間との談義・回想録

先日、大学院の研究室の先輩後輩で軽い飲み会をした。もちろん、このご時世の都合上、オンラインでの開催だった。博士後期課程に進学した後輩も大変そうだが順調に進捗を出し、今度査読雑誌に論文が掲載されるみたいだ。すげーな、後輩。

先輩は結構有名な出版社から二本目の新書を出版し、これも結構良い評判になっている。結構過激な事を書いているため賛否両論はあるかも知れないが、議論を呼ぶには良いと思うし先輩の本の指摘も間違っていないと思う。(もちろん、言い過ぎではと思う箇所もあるが。本を読んですべて納得できることなどもなかなかないが・・。)また、先輩も論文を書いた。

飲み会では経済学でこのご時世の問題を少しでも解決出来ないかなみたいな話がほとんどだった。経済学はとかく世間での受けが悪く、役に立たないと言われている。それ自体は無理もないと思う。あまりに突飛な仮定を置くため、そこでもうついていけない人は拒否アレルギーが絶対でる。合理的で効率的な、計算的人間観。そんな人間は居ないだろうと思う。でも、自分自身社会に出て組織や社会の中で色々経験してみると「あっ、その理論で説明できるか」と思う事が多いなと思うようになった。多かれ少なかれ人間は損得を意識して生きているのだろうと感じる事が多くなった。コロナが流行り始めた時のマスクの買い占めはゲーム理論囚人のジレンマでほぼ説明出来るし、この行動の背景にあるのはとても合理的判断に基づく個人の利己的行動だ。

たぶん、個人的意見だが経済学は学んでも応用できない人の方が多いと思う。社会現象に興味がある冷めた人間が一番向いている気がする。(自分だってちゃんと理解しているかなり微妙だと思う)

もちろん、経済学の理論や実証、歴史分析などで今起きていることのすべての分析や予測が出来るようになるとは到底思わない。でもそれは友人に話したが気象や、医学、地学などとたぶん同じ。精度の違いがあれど(その精度の違いが大事だろうと言われればまあそうなのだが)台風の予測進路、将来大きな病気になる確率、地震が起こる確率、経済破綻が起こる可能性、これらはたぶん現段階では絶対そうなるとは言い切れない。曖昧な言い方、確率にというもので評価しなければならない。けれど、これはしない方が良い、こういう対策をすれば損害を押さえられるなどその確率を下げる方法、起きたときの対策はどの分野も少しずつ進歩している。

色々飲み会で話した事で考えたこと、感じたことを書いたが、結局自分は大学院とかの研究とかの話が好きなのだなぁと再確認してしまった。チャンスがあるなら社会人博士として研究またやりたいなと思っている。(もう頭がついていけるかは分からないけど)